ハワイ王国臨時政府、占領終結への法的課題を世界に訴える

This is a Japanese translation of Part 2 of a previously posted article: 

 

ハワイはアメリカではない:ハワイ王国臨時政府、占領終結への法的課題を世界に訴える


デニス・リチェズ著
成城大学(東京)
20151030
Translator 翻訳者: 大塚ちひろ Chihiro Otsuka

ABSTRACT
This article consists of two parts. Part 1 is a discussion of the legal challenges being made on behalf of the restoration of the Kingdom of Hawai'i, together with an overview of Hawaiian history, with particular attention to the movement to restore Hawaiian culture and solve the social and environmental problems created by occupation. Part 1 and Part 2 were previously published in 2016 by the Center for Glocal Studies, Seijo University, Tokyo, but Part 1 has been revised and updated. Part 2 is an interview with the interior minister for the acting government of the Kingdom of Hawai'i, David Keanu Sai.
Many readers are likely to be surprised or incredulous upon learning that Hawaiian sovereignty was never extinguished, or that there is an acting government of a nation that is widely known as the 50th state of the USA. This article seeks to familiarize readers with the historical context in which the acting government was created and its efforts to use international law to press its case both in the US and in various international jurisdictions.
Keywords
annexation, Hawaii (US state), indigeneity, international law, Kingdom of Hawai'i (Hawaiian Kingdom), neutrality, occupation, Permanent Court of Arbitration, provisional government (acting government), Republic of Hawaii (1894-98), self-determination, sovereignty, Spanish-American War, United States Pacific Command

 

ハワイ大学政治科学学科教授兼ハワイ王国臨時内務大臣デービッド・キアヌ・サイ氏 (Professor David Keanu Sai) へのインタビュー


インタビューは2015824日、ハワイ・カネオヘで、
デニス・リチェズ (Dennis Riches)(成城大学)によって行われた。

(この聞き取りは、メモやリンクを加えて読みやすいように若干編集されている。)

Dennis Riches (以下、DR): あなたの論文「A Slippery Path Towards Hawaiian Indigeneity(ハワイアンの先住性へ傾きがちな道筋)」[1]www.Hawaiiankingdom.org [2]のメインページに掲載されているビデオ講演を拝見しました。このインタビューは、こうした論文やビデオと重複しないようにしたいと思います。まず私のことからお話しします。私は、主に欧米以外の司法の制度や伝統が、世界的に優勢な欧米の制度とどのように相互影響し合えるのかといったことに関し、社会学・文化人類学の学術誌に論文を書いています。ハワイを研究対象にしたのは、非欧米あるいは先住性のレッテルが誤って付けられていることから、反証として選びました。ハワイ王国ならびにハワイ政府の復権は、実際に欧米のシステムに深く組み込まれているものです。
Keanu Sai (以下KS): はい。ハワイ王国は、国政の成り立ちにおいて封建制度のヨーロッパの影響を受けておらず、メソアメリカ[訳者注:マヤ・アステカ文明のあった中米の国々]やメソポタミアから派生した国々とよく似ていました。ハワイは、ヨーロッパが中世において経験したのとほぼ並行して、独自の国家構造を発展させました。それは軍事力に主眼を置いたものでした。
DR: つまり豊かな食物に恵まれた、社会的序列のある社会であったと
KS: はい、その通りです。広大な領土を支配していました。ハワイ島は、そのよい例といえます。この島は、アズテカやマヤにあったものと同様の官僚制を中心にした国政下で統治されていました。この大きな島々がどのように統治されていたかを考えると、驚くべきことであったと思います。外国人がやって来るようになり、ハワイに君主制支配を持ち込み、君主制支配に基づく行動を取ったとき、ハワイアンは(訳者注:自国の制度とこれを)関連付けることができたわけです。
DR: つまり、同じ考えを持っていたと言えるわけですね。
KS: その通りです。
DR: 19世紀のハワイの歴史には、明治時代(1868-1912)との類似性を多く見ることができます。君主制は同じように急速に近代化への道を歩み、欧米に追いつき、広く認知され、西洋列強による支配を避けようとしていたように思えます。
KS: 実際に、ハワイ王国に追随しようとしていたのは明治天皇でした。カラカウア王が明治天皇を訪問した際、明治天皇がカラカウア王に西洋列強の先駆けとなって日本の完全主権を認めてくれるよう頼んだという確かな証拠が残っています。明治天皇がこうした行為に出たのは、西洋列強が日本の完全主権を認めていなかったためです。西洋列強は19世紀後半、特に日露戦争(19041905年)後にもう否定できない状況になるまで、日本の完全主権を認めるのを先延ばしにしていました。このため、明治天皇はカラカウア王に、日本がこれまでかなわなかった「列強の仲間入り」ができるよう支援を求めたのです[3]
カラカウア王は西洋列強の圧力に負け、明治天皇の望みをかなえることはできませんでしたが、イギリス、ドイツ、次にゆっくりとアメリカが日本の主権を認めるようになりました。しかし、ハワイは本当の意味で「列強国家」と同等な地位にある真正な主権国家でした。これは前代未聞のことであり、近年まで私たちは知りませんでした。この地位は、つまりはハワイは不平等条約を結んでいなかったことを意味します。ハワイの港湾は、領事裁判権を持つ外国政府によって取り仕切られていたのではなかったのです。これはハワイに独特のことであったといえます。
DR: たしかに、西洋列強が港湾に租借地を得て、不平等条約を結んだ中国では、これは大きな問題でした。
KS: そのとおりです。このことについて、私は来月ケンブリッジの会議で講演をすることになっています。帝国主義時代のヨーロッパ以外の国々について講演するよう招聘されました。ハワイとその地位についてはあまり知られていませんでしたが、現在ヨーロッパ中の公文書館で外交関係の見直しを始めており、これによって、ハワイの歴史を見る際のパラダイムは180度変わりました。
DR: カナダ人として、私はあなたが5[20155月、このインタビューの3か月前]にカナダで行った戦争犯罪に関する苦情申し立てに関心を持っています。あれからどのような進展があったでしょうか。
KS: はい。カナダ連邦警察 [RCMP] の戦争犯罪課から回答をいただいました。これは実際に「機密事項ならびに国際調査」部と呼ばれている部署なのですが、カナダ連邦警察は、ハワイの現状を認めてくれたものの、戦争犯罪法第8条に基づくこの特別なケースにおいては、裁判管轄権がないと言っています。第8条では、加害者はカナダ人であるか、カナダ人あるいは民間・軍事の目的でカナダ政府に雇用されている人物でなければならないと定めています。また、被害者はカナダ人であるか、武力衝突時にカナダの同盟国の国の人間でなければなならないとしています。
建物の破壊や不法な監禁や逮捕といった、マウナ・キアで起きた戦争犯罪の報告では、被害者はカホオカヒ・カヌハといって、カナダ人ではありませんでした。カヌハ氏はハワイアンであったので、先週担当の弁護士がカナダ連邦警察に返答をし、逮捕や建物の破壊を画策した加害者は、民間企業のサーティ・メーター・テレスコープ (TMT: Thirty Meter Telescope) (www.tmt.org) のパートナーであるカナダ人に雇用されていたため、第8条の要件を満たしていることを伝えました。加害者に当たるのは、弁護士と建設会社です。これは、カナダ連邦警察に対し刑事告発を行うよう求める件についての回答です。ですから、法的な要件は満たしています。
ここに行き着くまでに、カナダ連邦警察に対し、ハワイはアメリカの一部ではないという事実を説明しなければなりませんでした。カナダ連邦警察は、カナダ司法省の戦争犯罪プログラムに相談をすると答え、私が提出した2つのバインダーに目を通してくれました。その内容は、学術的な視点から、次の3つの質問に答えるというものです。 
1.  ハワイは、独立国家として存在し、国際法の支配下にあったか? はい。ハワイは1843年に建国されました。
2.  1893年にアメリカにより不法に王国が転覆されたにも関わらず、ハワイ王国は国際法の元で国家として存続しているのか? はい。主権国家は政府とは分離されているからです。王国政府は廃止されましたが、主権国家は決して屈していません。
3.  ハワイ諸島で戦争犯罪が起きましたか? はい。

DR: これはセンセーショナルな発表に思えますが、メディアによる報道はありませんでしたね。大々的に取り上げたり、政治的に利用したがるメディアもありそうな話に思えますが。
KS: この問題が示唆するところは、ビジネスや不動産の所有者にとってあまりに大きな影響をもたらすため、民間のメディアや政治家は、この問題を取り上げないでしょう。必要に迫られるまで、この問題を直視しないでしょう。いずれの場合にせよ、情報を政治利用するのは好ましいことではありません。情報は制度化し、標準化すべきです。私たちが教育を重視するのはこのためです。
1980年代の民族研究プログラムにおいて、私たちはハワイが植民地になったと教わりました。しかし今ではこれが間違いであったとわかります。なぜなら、ハワイは一度も植民地にはならなかったのです。ハワイは占領下にあったのです。植民地化されたというのは、ハワイという国はなかったことを示します。そしてこの考えに基づけば、まず民族自決について、国を作るという考えを話し合い、それから「独立運動」を起こさなくてはならなくなります。
ハワイの歴史を植民地化の視点でみることはこの問題を大きくし、学者や運動家の間での摩擦を生み出しています。文化人類学者は、こういった状況を見極めることができなければなりません。文化人類学者は、第二次世界大戦中にドイツがフランスを占領したときフランスは独立国ではなくなったとは言わないでしょう。論理的枠組みや推測は重要です。ハワイをアメリカの一部と考えるなら、自然とハワイの人々をアメリカ先住民と見てしまいます。
現在の思い込みから始めてはなりません。過去から始めて、事実を見つめ、前へ進む。そして当時の法律を見るのです。今日の基準で昨日を判断してはいけないのです。私の研究は科学的なアプローチをとっています。反証可能性に対して情報を試すわけです。私たちが提示する情報に対して反証できますか、と。人々がどう考えるかは、問題ではないのです。
DR: あなたはハワイ王国臨時政府の臨時内務大臣を務めています。一般の人々に向けて、この説明をお願いします。どのようにして臨時政府であるとの主張をされているのでしょうか。相反する主張はありましたか。
KS: 相反する主張はありませんでした。私は、システムの中で(国家)運営に携わっています。何もないところから始めて何が生じるのかを見るポストモダンの視点で、国家運営に関わっているのではありません。これは、非常に出来上がったコンテクストでの話なのです。ハワイ王国という国があり、その国はまだ存続しているが、その法制度や政府が不法に転覆されたことに気づいたとき、私はまず実際の政策表明、つまりこれは政府のことですね、そして次に国際法の対象を分けて考えねばなりませんでした。
国とは国家主権を持っているものであり、国家主権と独立は同義語です。独立とは、自国の領土に自国の国家主権が、他の国家の領土にある他の国家主権を排除して存在しており、それぞれの国家が相互に独立した状態にあることを指す政治用語です。これが独立した主権国家というものです。政府が転覆されたが、国家が存続する場合、その政府の法制度はなくなったといえるのでしょうか。それが法的秩序というものです。法的秩序とは、ハワイ王国転覆が生じる前の特定の時期に適用された法律なのです。それこそ私だけではなく、私たち暫定政府が根拠とするところなのです。この背後にはたくさんの人々がいます。ほんとうにたくさんです。私はその先頭に立って、リーダーとしてまとめているわけです。
私は、非常に実際的な見地からこの問題を考え、似たようなケースが世界中のどこかにないか、例を見つける必要にかられました。1つ例として挙げられるのが、第二次世界大戦中のベルギーです。国王が捕まり、ベルギーは占領されました。ベルギー市民はイギリスへ避難し、亡命政府を樹立しました。この政府は、暫定政府または「臨時政府」であり、占領下にあった同国に代わって暫定的に発言することができました。私たちも同じコンセプト持っていました。亡命政府を樹立する代わりに、私たちは必要性の原則に基づきここに政権を樹立したのです。必要性の原則は、他の国の人々が亡命臨時政府をどのように樹立したのかにも適用されました。ハワイのインフラの中でハワイ憲法に基づき、指揮系統を取る方法を見つけなければなりません。これがハワイの憲法であり、有機的な法律であり、個人の立場において人々にどのように適用するかということです。私たちはハワイ王国の法律に従う計画を立案し、ハワイ王国信託会社という会社を設立しました。これは、所有権譲渡管理局(Bureau of Conveyances)への登録を必要とする、1880年の共同パートナーシップ法に基づいて創設されたゼネラルパートナーシップ会社です。
これを単純な方法で取りまとめる実際の団体であるハワイ王国政府は、乗っ取られてしまいました。女王とその閣僚をとらえ、サンフォード・ドールとその閣僚がこれに取って代わり、その後軍事力を後ろ盾にして、全員に忠誠を誓う宣誓書に署名をさせました。実際に行われたのは、船の船頭を変えただけです。船はそこにあるのです。船は今日もそこにあり続けるけれども、赤く塗られたり、白く塗られたり、青く塗られたりするのです。社会構造上のものはすべて、知事、市長、裁判所の地位、これらはすべて1845年から続いているのです。アメリカが作ったものではないのです。私たちはこのインフラを利用しました。自分たちの家にいながらも、ハワイが乗っ取られる時代の前に適用される規律に従っているのです。
摂政と呼ばれる命令系統を担う方法があります。私たちは、司法長官、財務大臣、外務大臣の三閣僚とともに内閣において、内務省の役割を担っています。ハワイの法律の下で、この内閣は君主不在の際に摂政参事として政務に従事でき、またその歴史もあります。1871年、カメハメハ5世は後継者を指名することなく逝去しました。1893年にも適用された憲法の下で、四閣僚は自動的に、君主不在の際に政務に従事する摂政となり、摂政は、王位継承者を投票して決める臨時議会の招集を行います[訳者注:摂政の原文は、council of regency(摂政の参事会)となる。ハワイでは摂政職を個人に割り当てるのではなく、グループで摂政を務めるべく閣僚がおり政治に参画した]。このときに選ばれたのが、ウィリアム・チャールズ・ルナリロ王です。1年後、同王は後継者なくして逝去したため、同じことが繰り返されました。カラカウア王が即位し、新しい内閣を作りましたが、連続性があって政府が中断することはありませんでした。何らかの形に必ず落ち着くのです。
これまでの問題を回避するため、カラカウア王はリリウオカラニ王女を後継者に指名し、摂政を置かずリリウオカラニ女王が1891年に即位しました。私たちは、当時踏襲されたものと同じルールに従っただけです。臨時政府と呼ぶ理由もこのためです。これは必要性の原則によるものなのですから、暫定なのです。しかし、私たちは議会を再招集して、必要に応じて永久的な摂政や君主を投票で選ぶこともできるのです。法律でこうした選択肢が認められているのです。私たちは他のグループのように、ハワイの主権や独立を提唱しているのではありません。
他の独立派は1980年代から活動を行っていますが、彼らはハワイはアメリカの一部であるという前提に立って、アメリカからの独立を望んでいるため、独自の視点を持っています。ハワイ王国が今も存続しており、現在占領下にあるという見解を取っている者はいません。時間とともに人々も学習してきています。独立派グループの中には、臨時政府と違いがないかのように見せるため専門用語を使い始めるものも出てきました。しかし、それは間違ったものであり、彼らは話をでっちあげているのです。
この立場をとる人たちに対し、私たちは非常に慎重にならなくてはなりません。なぜなら、民間人が、必要性の原則に基づきイギリスのコモン・ローで認められた政府の役割を担う時、私たちは実際にコモンウェルス裁判所の判例に従っているのですが、これには危険が伴うためです。
アフリカの英国植民地で暴動により総督が殺され、英国国民が、臨時に総督の職務を一時的に担ったという特別な例があります。この人物は、反逆罪で訴えられました。これが起こったのは1960年代です。彼の抗弁は必要性に基づくもので、必要に迫られたからやったと主張しました。他に方法がなかったため、裁判所は必要な範囲に収めるために満たさなければならない条件を出しました。まず、当該人物の行動はその国の国民の権利を侵害できない、次に当該人物は暫定的にその立場に就くため、当該人物の行動は、当該人物の地位を強化することはできない。私たちは、この文書で示されるこれらの要件に実際に従っています。これが私たちのやり方です。私たちが選ばれるにあたっての政治的プロセスではないのです。必要性の原則を引き出す特殊な状況であることは、間違いありません。
私はオランダの常設仲裁裁判所に行きました。私たちがどのようにして臨時政府となったのかを審理されました。これは、投獄された自身を守ってくれなかった臨時政府に責任を求めようとした、ハワイ国民のランス・ラーセン氏との間で起きた裁判です。私たちはこの裁判では被告として、国際的な仲裁を行うオランダの常設仲裁裁判所まで行きました。裁判登録では驚かされました。なぜなら裁判所はハワイはアメリカの一部と考えていたからです。しかし裁判所は独立国家としてのハワイ王国の存続を否定することはできませんでした。なぜならハワイ王国はこの裁判所のあるオランダと条約を締結していたからです。ハワイが独立国家ではなかったとしたら、この国がなくなったことをどうやって証明できるのでしょうか。彼らの手元にあるのは、アメリカ連邦議会が可決したアメリカの法律だけで、これらはハワイ王国のステータスに影響を与えるものではありません。ある国が別の国の主権を一方的に抹消することはできないわけで、裁判所はハワイ王国の存続を認めざるをえなかったのです。次の段階で、「ハワイ国民のランス・ラーセンとは誰か?」ということが問われました。ラーセン氏は、自身の出生証明書と19世紀にまで遡る出生証明書を提出しなければなりませんでした。臨時政府として、私たちはどのようにして臨時政府ができたのかを説明し、必要性を示さなくてはなりませんでした。この主張は認められたのです。この裁判が審理された理由はここにあります。ですから、これは政治的プロセスではないのです。ちゃんとやったか、やらなかったかのどちらかなのです。私は、臨時政府を置く理由を議論しようとしているのではないのです。私たちは臨時政府である、ということを訴えたいだけなのです。占領下にある私たちに法的効力はありませんが、臨時政府であることに変わりはないのです。
DR: あなたがここに住む人々に話すとき、中には本土で生まれた人もいるわけですよね・・・?
KS: アメリカ本土ということですね。(アメリカ)本土という言葉は、占領後にアメリカからハワイへの移民を促進するためにサンフォード・ドールが使ったのが最初です。ドールは、ハワイはアメリカの延長線上にあると考え「(アメリカ)本土」と呼んだわけです。
DR: ええと、このことについてアメリカ人に尋ねると、ショックを受けて「君たちは革命家か?目的は何だ?どういった政策を実施しようとしているんだ?」と考えるのではないかと想像します。でも、あなたは国際法に従って、ハワイ政府を再生することの必要性にのみ焦点を置いているように思います。政策は、政府が樹立してから決められるのでしょうか?
KS: そのとおりです。
DR: アメリカ人は「これを支持したら、どうなるのか知りたい」と言うでしょうね。
KS: これは120年以上にわたる占領のことですから、アメリカ人にあれこれ指図される問題ではないと思います。国際法、そして今も継続するその非遵守の観点からこの問題を見ると、戦争犯罪の問題にたどり着きます。
ナショナルアイデンティティーの抹殺(1906年にアメリカが始めたナショナルアイデンティティーの抹殺プログラムという事実)の問題を見ると、私たちにはその証拠があるのです。賠償と返還の対象となります。ハワイアンがアメリカの戦争で戦うために徴兵され、戦死したという事実。これも賠償と返還の対象となります。これは、「さて、あなたはどう思いますか?」と人々に問う政治プロセスではないのです。これは真実の確認なのです。たとえば、自分は養子に出されたと思っていた子供が実は誘拐された子供であったことが判明したようなものです。養子縁組の書類はないけれど、ハワイにあるものを全部見てみましょうと。私たちが「ある」と考えるものが、ないわけです。土地所有者なんていないのです。法的所有権はないのです。アメリカ人もその他の国からの外国人も、ハワイに来た外国人は、連邦税と州税を支払っています。この税制はすべて違法です。略奪と呼ばれるものです。つまり、ハワイ王国は政府であるとの主張が通らないわけですから、この払い戻しを受けることができます。このようにして、権力の根本をはがし始めるのです。権力の根本を剥がしたら、迷った人と残されます。私が博士号を取って、この転換期をどのように管理し、この問題をどうやって修正するかを学ぶために更なる研究を行わなくてはならなかったのはこのためです。アメリカは、これを修正してはくれません。
アメリカがこうした問題を作った場所はハワイだけではないですよね。純粋な政治力でもって、世界のさまざまな場所で好きなことをやっています。
まったくその通り。マニフェスト・ディスティニー(明白な宿命論)です。ハワイと、アメリカが関与したその他の国々との最大の違いは、アメリカはその他の国では実際の政府に働きかけてきたことです。独裁政権であったり、権力を濫用することがあっても、政府であったのです。エジプトのムバラクやイラクのサダム・フセインがよい例です。専制君主であっても、彼らは実際に国の元首であったわけで、アメリカは承認された政府と外交取引をしてきたわけです。ここハワイは、このケースには当てはまらないのです。何か別のものが政府であるかのように見せかけているわけです。こういうことは、他の国には見られません。
イラクのような独裁政権の場合、石油会社は、政府が行使できる有効な契約を結ぶことができます。しかし、私たちの場合はどうでしょう。契約はないのです。政府のように振舞うボーイスカウト団体と取引を行うだけです。
ではどうやって、この絡まった糸をほどけばよいのか、これが目下の問題になります。「返還を求めるなら、どう思いますか。」ということではないのです。アメリカ人はこの問題の一部となっています。ですから、用語や史実の調査が大変重要になるのです。私たちは、できる限り正確であるよう努めています。
しかし、拒否反応は非常に大きいことが予想されます。これを、ここに住む人たちにどれだけ説明して、彼らがあなたの言う史実を認めたところで、おそらくこう言うに違いありません。「それはそうだけど、なぜ今更この問題を持ち出してくるんだい?ハワイは平和なところで、ほとんどの人は問題なくやっているじゃないか?」と。
確かにそのとおりです。人はみな楽な方へ流れがちですからね。怖いことがあれば、目を背けてしまいます。この問題すべてにおける私のアプローチは、利害関係としてこの問題を見ることです。この答えを知ることに利害関係がある人には、話ができます。ハワイについて話す前に、ハワイの歴史についてお話しましょう。
あなたは30年ハワイに住んでいるとします。海沿いに美しい家を買ったとしましょう。どうやって手に入れたのかと尋ねると、あなたはこの人から買ったんだ、そしてこの人はあの人から買ったんだ、とずっと遡ることができます。ハワイの土地権原はすべて1845年まで遡ることができます。誰もが知っていることです。ハワイの地図にも出ています。それから、あなたに住宅ローンがあるかどうか尋ねます。住宅ローンは担保をもとにして借ります。住宅ローンは、あなたが銀行に所有する不動産を抵当に入れて、ローンの返済を保証する法的手段です。2つの方法があります。1つは、貸し手に記録済みの融資で、もう1つはローンを保証する担保です。不履行の場合、住宅ローンは貸し手があなたの不動産を売却して、債務の返済に充てることを承認します。銀行があなたの住宅ローンを認める前に、銀行はあなたが不動産の所有者であることを確認します。この確認は口頭では行えません。1845年までの記録などあなたはご存知ないでしょうから。銀行は権原調査を行うために、権原会社へ行かなくてはなりません。銀行は、権原会社の意見だけでは住宅ローンを許可できないと言っています。権原保険も求められるので、ハワイでは権原保険を支払わなくてはなりません。これにより、貸主は貸した額を保護できます。権原保険の対象となるリスクには、不完全な公証人というものがあります。譲渡証書の公証人が不完全であることが分かった場合、保険は融資を清算します。
1893年、ハワイ政府は不法に転覆されました。アメリカ政府はその後1993年の謝罪文でこれを認めています。アメリカによってハワイが再度建国されることはなく、ずっと占領下にあります。権原調査を行うと、アメリカ占領後の1893120日の公証人が誰かわかります。この公証人は、有罪判決が下されると死刑になるため、クリーブランド大統領が女王に恩赦付与を求めた反乱者でした。しかし、女王は恩赦を付与しませんでした。大統領が政府の復権を認めなかったためです。有罪を宣告される前に女王が恩赦を付与できなかったため、この人物は裁判にかけられなくてはならなかったのです。この人物は、それでも反乱者であり、つまりは公証人と呼ばれた人物は犯罪者であったわけです。これは不完全な公証人であり、保険は融資を清算することを意味します。現在この契約は、この制度下で私たちにメリットをもたらすために利用できるのです。
DR: つまりすべてが不履行であると?
KS: まあそういうことです。だから、保険があるわけです。
保険会社が潰れてしまうことを除いて、クリミアで最近起きた出来事と類似する点はありますか? ロシアによるクリミア併合にアメリカ人は非常に動揺しました。しかしロシアは、これは既存の条約の範疇での行為であると主張しています。
クリミアは離脱してから条約によりロシアに割譲されたので、ちょっと違います。本当に比較できるものはありませんが、私たちはバルト三国(ラトビア、リトアニア、エストニア)のようなものです。
ロシアは、ロシア軍基地の駐留協定があるため、クリミアはロシアの一部であるという強固な主張があるように思えます。しかし、アメリカがハワイはアメリカの一部であると主張しても、条約はありません。
アメリカ、ロシア、ウクライナの観点からもさまざまな解釈が混ざり合って、実際に問題となるでしょうね。私が依拠するのは、アメリカ政府当局による1893年と1898年の発言です。現在のアメリカ人は、不法行為を行ったこうした権力者の後継者であるため、今日何も言うことはないでしょう。私が、改ざんを試みることができる証拠を提示しながらも、[訳者注:ハワイがアメリカの一部であることの長所・短所について] 自分の立場の位置づけをしないのはそのためです。これが、この問題を修正できる唯一の方法なのです。このナショナルアイデンティティーの抹殺と歴史におけるあらゆるレベルでの洗脳、歴史の白人主義化において、私たちが勝ち抜ける唯一の方法は、反証可能性を試される事実について語ることなのです。
私たちがこの動きを進めるにつれ、誤った仮定に基づいて別の方向へと流れていくでしょう。これを「占領」という軌道に戻さなければなりません。1898812日に遡ってみましょう。米西戦争のころでハワイがアメリカの領土になったときです。このときに、占領法が適用されるようになりました。問題は、1898812日の占領法とは一体どういうものであったかということです。その1年後、1899年、その後1907年にハーグ条約が、続いて1949年にジュネーブ条約が成文化され、慣習的な国際法が適用されます。国際法に適用される歴史分析を歴史解釈とすることで、政治によって議論があいまいになることを避けることができます。
私たちは間違いなく、権力闘争に巻き込まれていき、この情報が表面化しないように動いていくでしょう。これは当たり前のことですが、私は似たような別の状況について議論する立場には自分を置きません。単なる比較分析になってしまいますからね。ですから、ソビエト連邦が解体した後で主権を回復したバルト3国に言及するのです。クリミアの歴史は、実際にはコソボの歴史と似ています。セルビアは、コソボを独立国として承認することを今だに拒否しています。非常に似ていますけれどね。今、プーチンは「コソボを見てみろ。」と言っています。これらはしっくりくる比較でしょう。ですから、ハワイがクリミアと同じ、あるいは似ているとは思いません。
DR: こうしたことを学生が学び、自分の文化にプライドを持つようになると、ある程度、過去や未来を理想化するものですか? ハワイは階層社会で、不公平な社会でした。社会的身分や戦争がありましたよね。
KS: しかし、それはハワイが19世紀に立憲国家となったときに変わりました。確かに、ハワイは昔から厳格な階層社会を築いていました。非常にポリネシア色の強い社会でしたが、1839年に憲法が制定され、権利宣言をしてから変わりました。1864年までに、ハワイ憲法の基礎として権力の分離を採用しました。チェック機能と均衡が常に働くようにしたのです。実際、ハワイは英国と非常に強いつながりを持っています。英国のコモンローがこの地にも適用されているため、ある意味私たちはイギリス人なのです。1794年、カメハメハ1世のもとで、ハワイは保護領として英連邦に加盟しています。ハワイの旗にユニオンジャックがあるのはそのためです。知事など、英国の作った制度を採用したのです。
DR: ええ、ハワイが19世紀にどの程度西洋化したかを人々が認識しているかどうかを聞こうと思っていました。過去は気高い野蛮人の時代であって、すべてが牧歌的であったと考えている可能性があります。
KS: まさに私たちが習ってきたのはそれです。私たちが反論するのはこの点です。ナショナルアイデンティティーの抹殺を通して広められたストーリーは、私たちには能力がなく、野蛮で、キリスト教宣教師によって文明化する必要があったというものです。これはまったくの嘘です。実際に起きた真実を覆い隠しキリスト教宣教師が最初にハワイに来た時、彼らに主導権はありませんでした。宣教師たちは主導権を握ることはなく、酋長の監視下にありました。カメハメハ1世の逝去後、最初のアメリカ人宣教師が1820年にやってきたときのことですが、彼らは間違った宣教師だったのです。ハワイが1794年に英連邦の一部となり、私たちの宗教がイギリスの大英帝国のプロテスタントとマッチすると理解していたカメハメハ1世は、バンクーバー船長にイギリス人宣教師を寄こすように頼みました。アメリカ人の宣教師が到着すると、プロテスタントの宣教師であったにもかかわらず、上陸が認められませんでした。ハワイ国王が彼らのハワイでの行動を把握しようとした約1週間の間、上陸が認められませんでした。国王は英国への忠誠と服従の考えを持っていたところ、アメリカ人宣教師が1812年戦争のはじめにやってきたのです。国王は宣教師を入り江にとどめておきたいと考えました。宣教師が一体どういう人物であるのかわからなかったためです。
カメハメハ2世の相談役の一人である、ブリトン人(ケルト先住民族)のジョン・ヤングが、船まで赴き、宣教師に説明しました。「ちょっとした問題があるんだよ。君たちの宗教はいいんだが、国籍がまずいんだ。」と。これを国王に説明すると、宣教師は1年間の上陸が認められました。宣教師は酋長とともに行動し、酋長は宣教師を監視していました。1年間の上陸許可は4回更新され、酋長は「君たちの宗教はすばらしい。さあ、人々に伝導したまえ。」と言ったのです。歴史の本に書かれているのは、宣教師が来て、すべてのハワイアンはひれ伏し、神の使いの人々に魅了されたとなっています。それは事実とは違うのです。まったくの創作なのです。
興味深いのは、こうしたアメリカ人宣教師のほとんどが、ハワイ国民となりアメリカ国籍を放棄したということです。宣教師たちがハワイに帰化したのであって、ハワイアンをアメリカナイズしたのではないのです。法制度の開発に参加し、ハワイの立憲君主国家への移行に携わったのです。これを教えると、以前アメリカによって教えられた歴史に異議を唱えることになります。
DR: ハワイ大学の史料館とビショップ博物館には、帰化した人たちの文書や証明書類が残っているのでしょうか?
KS: ええ、史料館に行って、初期宣教師の帰化書類について尋ねたら、そのコピーを見せてもらえるでしょう。
DR: 通貨はどうなっていたのでしょう? 独自の通貨が流通していたのでしょうか?
KS: はい、ハワイの法律では、米ドル、ハワイドル、英国ポンドの3つの通貨が認められていました。このすばらしい点は、今日の法律にも残っていますが、最も価値の高い通貨を使えるということです。
史料館は、私たちにこうした史実があったことをすべて伝えてくれます。記録を曲げるのは非常に難しいことです。これに目を通すと、悪夢から目が覚めるような思いがします。
DR: あなたは主にハワイ語で書かれた新聞や文書の研究を行っているのでしょうか?
KS: はい。しかしハワイ語は、文脈において理解されなければなりません。法律の正確な定義について扱っているため、ハワイ語ははっきりとした具体性を示すのに十分ではありませんでした。ハワイ語にはあらゆる場合において固有の言葉があるわけではないため、ある部分が非常に曖昧になります。ですから英語で、政府の構造や国際外交について理解した方がよいのです。ハワイ語は、国がどのように運営されていたかを理解するには適しています。原告と被告の間の異議内容を見ることができるため、裁判所の記録はこのよい例となります。巡回裁判所に行くと、ハワイ語で書かれた記録を見ることができます。
私が注意しているのは、これは「先住民の闘い」ではないことをはっきりさせることにあります。今日まで、私たちは先住民族であるという文化人類学者の視点が受け継がれており、そのように描かれています。しかし、私たちは先住民ではないのです。ハワイを1つの国として考えるようになると、特定の言葉の意味は異なってくるのです。ハワイアンとは民族ではなく、国籍を指す言葉となります。しかし、アメリカが1921年ハワイ名前法(Hawaiian Homes Act of 1921)でハワイ民族を創設し、ハワイアンをアメリカ先住民としてみなすような仕掛けを作ったのです。ハワイアン(Hawaiian)は国籍を示すものであって、民族名ではないのです。ハワイの法律においても、ハワイアンとはハワイの地理的位置を示す言葉として言及されています。私たちにとって、ハワイアンとはハワイ国民のことなのです。ハワイで、黒人、中国系、スコットランド系、ウェールズ系などのハワイアンになれるのです。これが私たちがやろうとしていることなのです。つまりは1906年に始まったプロパガンダに打ち勝つということです。それ以前にはこんなプロパガンダはなかったのです。その後2世代にわたって、基本的に洗脳されてしまったのです。これがナショナルアイデンティティ―の抹殺です。ですから、大昔に結び付ける必要はないのです。洗脳される前に戻ればよいだけなのです。そしてそれこそが、今日否定できない(歴史の)連続性を示すことになるのです。私はハワイアンのアイデンティティに新たな解釈を加えているのではありません。私がしているのは、以前のハワイと今後考えられるハワイをもう一度結び付けているだけですが、まずは今のハワイアンとはいったい何かを理解することから始めています。しかし、私たちはよくわかっていないんですよね。ですから、最初に学ぶことなくさまざまな意思決定を行うべきではないと考えています。
DR: あなたのアプローチを見ていると、西パプアの独立運動を支援する弁護士、ジェニファー・ロビンソンのやり方を思い出します[4]。学生として独立運動に参加したロビンソンは、弁護士になって、国際法の枠組みにおいてこの運動を行うことを決意しました。オランダは、西パプアが独立国となることを約束していました。国連は、植民地の独立運動が始まったときに、これを実現するはずでしたが、1960年代にアメリカは、インドネシアに割譲することを約束してしまいます。
KS: 民族自決というのは、比較的新しい言葉ですので、非常に大きな不平等があります。この言葉は、レーニンがロシア帝国崩壊時に使ったのが最初でした。レーニンは、ロシアを構成する国々には、民族自決、つまりリトアニアのように独立するかソビエト連邦制度の一部となるかを決める権利があると言ったのです。レーニンが使った民族自決という言葉を次に使ったのは、ウッドロー・ウィルソンですが、彼は国際連盟の委任統治領に対し、この言葉を使っています。ベルサイユ条約の後、それまでオスマン帝国であった中東が分割されたときです。パレスチナは英国領でした。レバノンのあたりはフランスの統治下にあり、それぞれが独立国となる権限を与えられていました。パレスチナは、民族自決権を持つ委任統治領として完全に認知されていました。しかし西パプアは、国連の下で信託統治領となるはずでした。これはオランダの植民地は委任統治領に分類されなかったためです。委任統治領となったのは、旧オスマントルコ領とドイツ領だけでした。国際法におけるステータスがなかったため、国々の意思に任されていたのです。この場合、物事は思うようには進みません。必ず妥協が必要になります。
私の専門ではないので詳細を説明するのは控えますが、西パプアの場合、私にはその状況が理解できます。やはり政治的プロセスなのです。インドネシア、オランダという国家、そして国連憲章[国連決議第1514 (XV)号、第1541 (XV) および第1654 (XVI)]に書かれた通り、民族自決を進めていくわけです。[5]
私たちの場合、ハワイは国家です。私たちは、条約があると言えるのです。条約を締結しようとしているとか、交渉を試みているというのではないのです。しかし、おわかりのように、私たちはハワイが西パプアのようであると思っていました。ニュージーランドのマオリ族のようであると思っていました。先住民、民族自決、植民地化、植民地の独立といった用語が使われていたからです。こうした事態は国家ではないが国家になることを望んでいることを前提としています。そうでなければ、ある国に組み込まれるか、自由な関係を結ぶことができるのです。私たちはそう信じ込まされてきました。そのどれもが違ったのです。このアプローチはアメリカのハワイにおける存在を強化しただけでした。実際に、計画されたのかどうかに関わらず、このアプローチは大きく提示されました。陰謀論者が言うとおり実際に使われたアプローチというわけです。ハワイの人々はその枠組みの中で行動するようになったのです。ハワイ大学のトラスク教授などは、自身をアメリカの先住民運動と結び付けるようになったり、大きな問題となってしまいました。なぜなら先住民の問題はハワイには当てはまらないからです。
DR: トラスク教授はあなたのアプローチは異なっており、これにより、自身のアプローチが再評価されることを承知していますか?
KS: ええ、彼女の元教え子で現在は教授になっている学者たちは、この2つのアプローチの板挟みになっています。私は、ハワイ大学でこの問題を作った一方の当事者と考えられています。ハワイ研究の教授、ジョン・オソリオ教授に実際にそう言われました。
ここで、どのように私が大学に入ったかを説明しましょう。1984年~87年に私は大学で学士号を取りました。トラスク教授は当時の教員で、当時どういったことを教えていたか私は理解しています。先生のクラスを取っていましたからね。宣教師はすべてを支配していました。すべてが、非常に反ハオレ(反白人。訳者注:ハオレはハワイ語で「白人」という意味)主義で、人種に基づく政治思考でした。それでは何の説明にもなっておらず、単なる愚痴にすぎませんでした。学生たちは怒りを覚えるようになりました。この考えは、人々をますます怒らせる以外の何物でもなかったのです。
私は途中で大学を辞めて、軍隊に入りました。士官としての訓練を受け、学術研究者としてではなく機密情報を収集する士官として、情報収集の方法を習得しました。そのときですよ、元の出典を史料館で見てトラスク教授が間違っていると気づいたのは。もう一人の教授である、リリカラ・カメレイヒワ氏も間違っていました。両氏は同じ事実を知っていましたが、間違った理論を使っていたのです。アメフトのルールで野球をするようなものです。フラストレーションがたまりましたね。ハワイは真正な国でした。これは国籍の問題であって、民族性の問題ではありません。過去は、こうした学者らが主張していたものとは違っていたのです。
2001年にハーグへ行ったときに、私はルワンダ大使に会いました。このとき、ハワイ大学に戻ろうと決めたのです。ハーグから戻って、頭がバラバラになりました。この歴史が間違っていることを目の当たりに経験してきたのです。しかしハーグで、私はこの情報を持って私たちがどこへ向かって行けるのか気づいたのです。まずは教育のやり直しから始めなければなりません。一対一ですべての人たちと向かい合っていかねばなりませんでした。しかしどうやって?論文です。私がやったのは、論文を書いただけです。今、私がここにいるのはそのおかげです。小さな先住民革命を起こしたと言われてきました。
しかし、私は人種のカードゲームをしているわけではありません。これは民族対立ではないのです。ハワイにはそういった歴史はないからです。フツ族とツチ族の間の問題はベルギーが作ったのです。同じようにスンニ派、シーア派、クルド人の問題はイギリスが作ったのです。すべては権力の均衡という問題なのです。アメリカに占領されるまで、ハワイにはこういう問題はなかったのです。アメリカはハワイに人種差別を持ち込みました。
米軍がハワイに来たときですが、その多くは南部出身者で強い偏見を持っていました。自国にいる私たちを、自分たちよりも劣ったものとして扱い始めました。1930年代にはマッシ―事件 [白人の女性が他人種の男性に暴行を受け、社会的パニックを巻き起こした性的暴行事件] がありましたが、これが多くを物語っています。すべては軍隊が持ち込んだのです。私はこれをどうこうしようとは思っていません。私たちは人種差別があったことを受け入れなければなりませんが、これを比較対象してみましょうと言いたいのです。当時のハワイはどんな感じだったのでしょうか。私たちが信じ込まされてきたような方法で、白人はハワイ王国を支配してはいませんでした。白人は実際にはハワイアンであり、王国の一員でした。王国が倒された後で、初めてアメリカの人種ヒエラルキーに合わせなければならなくなったのです。
大規模なプランテーション主が5人いたのですが、アメリカからこの人種ヒエラルキーがハワイに持ち込まれたため、私たちは今もこの歴史と付き合わなければなりませんが、これはハワイの歴史ではないのです。しかし人種差別がこの地に持ち込まれたという事実と付き合わねばなりません。私は世界中で人種のダイナミクスを見てきましたが、文化人類学者たちは文化を研究し、本当の人種差別や民族闘争を研究しているため、これだけに焦点を絞っているのです。しかし、人種差別は1900年以前のハワイにはなく、この国を定義するものではないのです。
孫文は1870年代から1880年代にかけて、ハワイのイオラニ・スクールで学び、その後プナホウへ行きました。孫文はハワイで民主主義を学び、それを中国へ持ち帰ったのです。アメリカで学んだのではないのです。中国人排斥法 [1882] があったため、孫文はアメリカに入国できませんでしたから、かの地で民主主義を学ぶことなどできなかったのです。しかし、人々はハワイをアメリカと考えるため、孫文はアメリカで民主主義を学んだと思い込んでいるのです。イオラニ・スクールは、カメハメハ4世とエマ女王により創設された、英語のイマージョンスクール(英語集中習得プログラム)です。ハワイ語は、ほぼすべてのところで話されていました。孫文が書いた英語のエッセイはイオラニの最優秀エッセイに選出され、カラカウア王から賞を授与されました。これは、バラク・オバマ [6] が学校に来て、賞をくれるようなものです。学生たちにこれを教えると、彼らの考えていたハワイのパラダイムは大きく変わります。
私たちは100年以上も続くナショナルアイデンティティ―の抹殺をなんとかしようとしているのです。時間がかかるのは当然ですから、一人一人がそれぞれのペースで学んでいけばよいのです。私はさっと先に進んでいけますが、もっと時間のかかる人もいるでしょう。しかし教育を通して、人々はこれに向き合う方法を身に着けることができるのです。弁護士、銀行家、軍人など、特定の職業においては、より熟練され、物事をより早く処理できるようになります。カナダ政府に戦争犯罪の苦情を申し入れましたが、これは政治的な考えではなかったのです。状況を考えると、自然な成り行きであっただけなのです。カナダの企業が関わっていたからなのですが、そこで苦情が出ることが考えられました。
2週間前に在ハワイ日本総領事に会いました。そこでも苦情を伝えました、なぜならマウナケアで起きた犯罪であるTMT30メートル望遠鏡)の建設に日本が関わっているからです。総領事は私に、望遠鏡の建設に反対なのかと尋ねられました。私は、いいえと答えました。私たちは単に合法的に建設を進めてほしいと願っているだけなのです。現在、この件は違法なプロセスで進めてられています。建物を壊し、違法な監禁状態や違法な裁判となっています。これは、日本の戦争犯罪法に当てはまる戦争犯罪です。日本は、一元論を取る国です。つまりは国際法が優先されるのです。国際法を施行するために法案を作る必要はないのです。日本は、カナダやアメリカのような二元論制が運用される国ではないのです。条約が締結されれば、その法律がすべてにおいて優先されます。また私たちはジュネーブ条約についても話をしました。
日本の法務省に、違反を申し立てる前に、こうした質問に答えるこの情報を見直してもらうよう依頼しました。そして、この問題を考えると、領事館自体も不法な存在となることを告げました。領事館は日本とアメリカの条約で作られたものですから、ハワイには適用されないはずです。これは、ハワイと日本の条約となるべきなのです。第3条は、領事館の設立を認めています。日本にはこの条約がないので、この問題も解決する必要があります。この問題の解決にあたって、人々がどのような利害関係を持っているかを示すと、ハッと気づくようになります。すると、ここで現実を認識し始めることから、「彼らを助けよう」ではなく、「あなたの手伝いをさせてください」となるのです。
DR: しかし、日本にとって、何につけアメリカに反対すると必ず大きな政治問題に発展します。
KS: ですから私のアプローチでは、アメリカは何の関係もないのです。アメリカについて心配すると、戦争犯罪により深く首を突っ込むだけなのです。何もしなければ、この問題はなくなりません。実際、あなたはこの状況をよく理解していらっしゃると思います。次に、犯罪の意図について話しましょう。恐怖は正当化することができますが、その抗弁は陪審員にゆだねられなくてはなりません。これは、やはり戦争犯罪なのです。私は領事に、ハワイの法律に従って進めてくれるなら、マウナケアに望遠鏡を建設することはできると言いました。富士山に望遠鏡を建設するとしたら、日本の法律に従うでしょう。だから、これは政治闘争ではありません。ここで言おうとしていることは、ハワイにおける(法律への)非遵守があり、予期しない問題があるということです。まずはこれを遵守することから始めなくてはなりません。
DR: たとえばオアフ島の核兵器貯蔵など、より大きな問題を取り上げる方法はありますか?
KS: これはすべて資産の破壊に含まれます。
DR: ハワイに軍事基地を置く権利に異議を申し立てるといった問題をどのように進めていくつもりですか?
KS:  ICC、国際刑事裁判所です。アメリカは国際刑事裁判所の国際刑事裁判所ローマ規程に署名していません。このため、国際刑事裁判所に領土についての裁判権を認めていません。しかし、ハワイはアメリカの領土ではありません。占領下にあるため、ハワイは戦争犯罪の普遍的管轄権にあたります。
私たちがしなくてはならないのは、物事を分離することですが、これを進めるよい方法があります。[テーブルの上にトランプを並べて] これがアメリカです。そして、これが世界でアメリカが経済や何等かの圧力を与えることで支配する、アメリカのパートナーです。目的は、分離し、隔離することです。カナダの場合、戦争犯罪です。カナダは自国の法律を通して、これを解決する責任があります。日本の場合も戦争犯罪です。スイス、英国、ニュージーランドも同様です。私たちは、諸外国にアメリカを見て、アメリカと同じ立場を取ることが自国の利益にならないことに気づいてほしいのです。しかし、国際法を通して、こうした国々が問題の一部となっていることを示すとともに、解決策の一部にもなれることを訴えなくてはなりません。それができるまで、アメリカはあらゆるものを支配します。アメリカは超大国なので、疑いの余地はありません。私は国際関係を教えています。しかし、ハンス・モーゲンソーが定義するとおり、これはリアリストの理論です。国というのは、自国の利益のためにだけ行動するのです。特定の国の利益とは何でしょう。自助であり、自衛本能となります。これは別々に考えることができます。
たとえば経済的なメリットです。私は、すべての権原がハワイでは有効ではないことを示していきます。その証拠があります。人々はこれを見て、事実を捻じ曲げようとします。しかし合法的な公証文書は作られていないため、保険会社は破産します。他の国々もその痛み分けをすることになります。
もう一つの例に、軍隊があります。中国の悩みの種はなんでしょう。アメリカ太平洋軍です。ジュネーブ条約第五条、中立国の領土権によると交戦国の軍隊は、中立国の領土で軍事行動を取ることはできません。ハワイは中立国です。ハワイはいつも中立の立場をとってきました。それは条約に書いてあります。急に中国はアメリカにアプローチして、「君たちがハワイにいることは違法だ」と言えるわけです。他にもあります。
ロシアのプーチン氏の悩みの種は何でしょう。これもまた、アメリカ太平洋軍です。これらの国の利害関係を適用して考える、つまりは現実論で考えると、皆しなくてはならないことをするでしょう。しかし、私たちは占領の法律が遵守され、占領が終わることを確実にしていく、というわけです。法律に従うのみです。こうした事がどのように展開されるかを注意して管理していますが、どうにもできないこともあります。
DR: 知識を持ち続けなくてはね。時間がかかるかもしれませんね、アメリカが軟化して、この問題と向き合えるようになるには。
KS: いいえ、すぐにできますよ。
DR: そうでしょうか。
KS: ええ、意思決定を下せるかどうかですよ。1893年に起きたことを考えてみてください。ハワイ国民に対して、ハワイはあと5年したらアメリカ領になると言ったら、「なんだって?ふざけないでくれよ。」と返されたでしょう。これは本当に私たちがこのことを訴えていく意思決定者の問題なのです。彼らが、経済や軍事に関する問題をどのように取り扱うかです。私たちにとっては、どういった戦略を組み合わせていくかを考えるのが課題です。
DR: 経済大国が変わり行くのを私たちは目の当たりにしています。なぜなら中国やロシアが、ドルを使わなくてもすむ経済ブロックを形成しつつあるからです。しかし、日本はこれに参画するのではなく、アメリカに寄り添い、ロシアへの経済制裁に参加しようとしています。これについて、日本は未来を逃しているという人もいます。
KS: ええ、占領終結に関して1つ言えるのは、アメリカの経済に間違いなく影響を及ぼすだろうということです。ハワイのすべてのビジネスを失うわけですからね。元々なかったものなのですが、これがドミノ効果を生み出す可能性があります。銀行危機と似たようなものです。ハワイに危機が生まれることになります。この危機の到来は、人々に伝えなくてはなりません。大雨警報のようにね。
DR: ハワイ州の法律がハワイ国の法律へ変わる転換期を、シンプルに進める方法はありますか。
KS: もちろんです。私の博士論文でこのことを取り上げています。必要に迫られて書いたのです。この問題を解決するには、この問題がどうやって生まれたかを利用するのです。1893年、暫定政府が樹立され、ハワイ王国政府を乗っ取りました。ハワイ王国政府には、事業登録、権原譲渡、裁判審理を行う警察権力、司法、立法、行政の権力がありましたが、その暫定政府は、軍隊に姿を変えてしまったのです。軍隊こそがその正体だったのです。クリーブランド大統領は、暫定政府が事実上の政府でも自己宣言した正当な政府でもないことを認めていました。つまりは米軍の後押しによりまとめられた軍隊だったのです。この軍隊は、1894年にハワイ共和国と名前を変え、次に1900年のアメリカ議会の法案を通して、ハワイ領となり、1959年にアメリカ連邦議会で州に制定されたのです。今だって軍隊です。すべてが違法な状態にあるのですが、結婚を許可し、ライセンスを出すわけです。しかしこの問題を解決する方法があります。なぜなら軍隊としてのハワイ州はハワイの土地を有効に支配しているからです。これは事実ですね。
ハワイ州政府は、政府の姿をした軍隊でありますが、占領法において政府になることができるのです。軍事政権です。ハーグ条約の第1条では、軍隊、組織的武装集団、州の軍隊は、ハーグ条約第43条に従い、軍事政権の樹立を宣言し、代理政府として占領国の法律を施行できるとしています。今日の知事は、ハワイ州が軍事政府であると宣言する声明を出すことができるのです。
1941年の真珠湾攻撃後にこの宣言が出されています。ポインデクスター知事は戒厳令を宣言し、ショート将軍による軍事政権を創設し、ハワイは軍事支配下に置かれました。当時は、いわゆるアメリカの法律においてこれを実施しましたが、今回はこれを国際法に基づき行うのです。軍事政権であることを宣言すると真正な政府となり、1893年から現在まで不法に課されたすべての法律は、ハワイの法律文書、精神、意図に反しない限り、占領国の暫定的な法律であるという声明を出すことができます。必要に応じてこうした行動を取ることができるわけで、この問題を解決する方法はあるのです。ただし、実際に行動を起こす前に起爆点に到達するよう準備しなくてはなりません。こうやってゲームの駒を進めていくわけです。
暫定政府ができると、権力を合法的な政府に移行し始めることができます。議会は、軍事政権の知事による暫定的な法令を制定します。この場合の知事には、現ハワイ知事と同じ人物がなることも考えられます。
規則を考慮するようになると解決策が浮かんできますが、決して不可能なものではありません。むしろ非常に控え目な見立てです。
DR: あなたは駐留米軍基地協定をも用意しているので、太平洋軍はこのまま継続するのですね。
KS: いいえ、私たちは条約において中立の立場をとっているため、継続を望んでいません。
DR: しかし、新たに合法的に作られる政府は、「中立の立場はもう取りたくない。より強大な国や同盟国に守ってもらいたい。」と言うかもしれません。
KS: なぜそんなことを言わなきゃならないのでしょうか。それでは自らターゲットに名乗り出るようなもので、狂気の沙汰と言えます。
DR: そのとおりです、でも日本はそうしてますよ。その他たくさんの国々もです。
KS: ええ、日本は戦争に負けたのでそうせざるをなかった。降伏条約がありますからね。
DR: しかし、70年たった今でも米軍基地の存続を望んでいます。
KS: 確かに、両国は強い絆で結ばれています。しかしハワイについて大切なことは、私たちは中立の立場を取っているということです。それは条約に書いてあります。私たちは中立国ではありません。スイス、ベルギー、ルクセンブルグは、独立を承認してもらう条件として中立国となることに合意しました。私たちは、中立性を条約に法制化することで保証された中立国なのです。ハワイは非常に異なっています。このことについて私は来月ケンブリッジで発表を行います。政府機関の問題であり、かつ19世紀のハワイ当局が、どのようにしてこれが最善の方法であると言って引き受けてしまったか、なのです。ハワイは太平洋の真ん中にあります。誰もが港を利用することができますが、武装解除をすることが条件です。ハワイ領海を出たら戦争に行くかもしれませんが、ハワイの立場は中立です。一度中立性を失ってしまうと、独立を失ってしまうので、何もできなくなります。駐留米軍基地協定を締結すると、同盟国となり戦争の一端を担ぐことになります。これは許されることではありません。ハワイは太平洋の真ん中にあるスイスのようなものです。
DR: そのようになることを願っています。
KS: そうならなければ。養子になるように言われて誘拐されてしまったともいえる、この問題を解決することはできませんから。アメリカは補償と返還を行い、ハワイから出なければなりません。そして、外交、条約、貿易を唯一の方法として、これを行うものとします。ただし、国の主権は守られるものとします。
インタビュー終わり

結論


私が占領国としてのハワイの状況に興味をもったのは、県外へ米軍基地の移転を求める沖縄の闘争に関心を持ったことがきっかけであった。多くの日本人と同様、当然ハワイはアメリカの領土であるから、米軍基地をハワイへ移転すればよいと単純に考えていた。しかし、この2つの場所を比べてみたところ、国際法の下では沖縄よりもハワイの方が米軍駐留を拒否する権利において、より強固な主張があることがわかった。残念なことに、沖縄は日本に併合される前、外国と平等条約を結んだり、独立国として認知されたことが一度もなかったため、日本政府との政治交渉を通して自己決定権を求めて戦うことになった。そして日本政府は同盟国として非常に深くアメリカに関わっている。安倍晋三首相は、2015814日の談話において、「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」[7] と述べているが、安倍首相が沖縄の人々あるいは特定の人々の独立を支援することを念頭に入れて発言をしたとは考えにくい。
インタビューの最中、暫定政府のスポークスパーソンとして、サイ教授は未来の合法的な政府が踏襲するであろう政策やイデオロギーについての議論は慎重に回避した。これは、占領終結後にハワイアンが民主的な方法で決めるべきことであるからだ。しかし、元米軍大尉のサイ教授が、中立国としてのハワイの記録は将来に議論されるべきものではないと、個人的見解を強く提示したことは希望を与えるものである。国の復興にやりがいをもたらすことは基礎となる価値感を生み出し、グローバル社会を活気づけるものでもある。
アメリカは介入主義と米軍基地ネットワークを世界的にダウンサイジングする意向を強めている。世界が米軍駐留を望まない日が来たら、アメリカは基地を維持できなくなる。誰もがアメリカだと思っている土地で、米軍基地を撤退させるために、国際法を使う可能性が最も高いというのは皮肉といえよう。その他の国々は、それぞれの条約や米軍駐留協定に縛られている。また地球上で人が最後に住み始めた土地であり、かつ西ローマ帝国の時代に始まったヨーロッパの探検家によって発見された最後の土地で、こういったことが起きるというのは感慨深いものがある。
今日の西洋科学は、ハワイの山々に望遠鏡の建設を計画したり、宇宙飛行士のための火星での歩行訓練に行ったりと、地球の問題に背を向けているが[9]、こうした地球の問題に取り組もうとする人々にとって、ハワイは、環境破壊や戦争というカタストロフィを避けるための私たちの最後の希望になりうる。ちょうど西暦が始まったころに初めてハワイを訪れたポリネシアの探検家にとって、ハワイが最後の希望であったようにだ。18世紀のハワイで二つの文化の出会いを作ったキリスト教の平和に満ちた大志を考えると、これは興味深い偶然と言えるであろう[10]。日本が憲法の平和条項の再解釈を行って、同盟国の支援における海外派兵を可能にした現在、世界は利害関係という現実に目を向けるためだけではなく、何よりも国家が戦争を放棄し、中立国となり、国家主権を保護する国際法の制度において安全保障を確保する、という考えに基づく新しいスタンダードの担い手として役割を果たすことができるハワイをサポートすべきである。





[2] David Keanu Sai, 1893 Executive Agreements and the Profound Impacts Today, Keauhou-Kahalu'u Education Group, https://vimeo.com/39971385.
[3] Donald Keene, 346-351.


[6] When President Obama ran for president the first time, his opponents were desperate to prove that he should be disqualified because he was not born in the United States. The lack of a legal basis for his State of Hawaii birth certificate could have been the proof they needed, but as conservative patriots they didn't know the history, and if they had known, they would not have wished to inform Americans that Hawai'i was not part of America.

[7] Gavin McCormack and Satoko Oka Norimatsu, "Ryukyu/Okinawa, From Disposal to Resistance," Asia-Pacific Journal, September 9, 2012, http://apjjf.org/2012/10/38/Gavan-McCormack/3828/article.html.
A comparison of the Hawaiian Kingdom with Okinawa, historically known as the Ryukyu Kingdom, deserves a fuller discussion that is not possible here. This source covers some of the relevant history the Ryukyu Kingdom.

[8] Justin McCurry, "Japanese PM Shinzo Abe stops short of new apology in war anniversary speech," The Guardian, August 14, 2015,

[9] Hawai'i Space Exploration Analog and Simulation, HI-SEAS, http://hi-seas.org/.

[10] Notes on the Discovery and Settlement of Polynesia, Polynesian Voyaging Society,


英語版:

Dennis Riches, “This is not America: The Acting Government of the Kingdom of Hawaii Goes Global with Legal Challenges to End Occupation,” グローカル研究叢書5 接触のグローカル研究成城大学グローカル研究センター 2016/03/16, 81-32, ISBN 978-4-906845-18-7.

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